中部地区英語教育学会40周年挨拶

諏訪部真先生(顧問)

諏訪部真先生(顧問)

私は全国に先駆けた中部地区英語教育学会の発足を聞き、英語教育学会が遂に出来たか、と本当に嬉しく、すぐ入会の手続きをし、発表の申し込みもしたのでありました。

今でもこの学会の第一回の総会・研究大会が開かれた日を忘れることはできません。1971(昭和46)年7月4日(日)、静岡大学の教育学部棟。暑い日でした。新しい学会を創る、という参加者の高揚した気持ちがそこに満ちていたように思えました。学会というと大学や研究者の会と思われたのですが、大学の関係者は無論、中学校、高校の先生たち、また一般の人も多数参加されていたのには、驚きとともに大きな喜びを感じたのでありました。 以来、一会員として、また地区の運営委員として学会の活動に加わってまいりました。

そして図らずも学会創立13年目から14年間にわたって、佐々木昭会長、青木昭六会長のもとで学会の運営委員長を務めさせていただきました。その間には静岡での2回の全国英語教育学会の大会があり、また佐々木会長が全国英語教育学会会長に就任された4年間はその事務局も兼ねておりましたので、今、思い起こしても、特に任期中の前半は、例年の研究大会を開催すること、毎年の紀要を出すことに、汲々としていたように思えます。年齢だけは重ねておりましたが、力と見識足りず、学会の発展のため、学会のより多様な活動のため、あるいは新しい制度のために十分な働きが出来たか、と思い返しております。

またこの学会の会則(96年改正前)の一項に「運営委員長は会長の意を体して…」という文言がありました。果たして歴代の「会長の意を十分体して」活動することが出来たか、と自責の念をもつのでもあります。

至極当然のことと思われ勝ちですが、しかし、各地区でその地区の会員によって研究大会が毎年欠けることなく開催される、そして大部な「紀要」が毎年欠けることなく刊行されていることは学会の力だと誇っていいと思っております。

(今では見当もつかぬことですが、実際、大会の会場の問題で開催に難儀したこと。印刷費の払いを1年猶予してもらったこと。集まった原稿に目を通し、手書きの原稿をタイプ印刷してもらい、投稿者へ送り返し訂正加筆、できあがった紀要を各会員に送るべく封入、郵便局へ持参する。これすべてが運営委員長の仕事として続いたことがありました。)

学会での40年を通して、本当に多くのものを頂いた。新しい知見を、方法を、実践研究を通じて生徒、学生たちの実態を、課題別研究では問題の深まりを、さらにシンポジュウムでは、時の問題を、それぞれの立場からの意見を。 また学会は私たち会員に発表と優れたれた訓練の機会を提供してくれた。言い落としてはならないことだが、私はこの学会を通して、多くの方々とのご交誼を得ました。感謝の他はありません。

中部地区英語教育学会の創立40周年あたり、この学会に尽くされ、すでに逝かれた幾多の先達の上に思いを馳せたいと存じます。

最後に、この学会が難しい時にあっても益々発展生き続けることを信じて挨拶とします。